MoMaの冬

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=MoMaの冬(MoMa Winter)=
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'''MoMaの冬'''(''MoMa Winter'')とは、[[MoMa]]が全世界で猛威を振るった1998年末から1999年始めにかけての時期の通称。1996年の[[ネクロの夏]]に対比した表現である。
  
[[MoMa]]が全世界で猛威を振るった1998年末から1999年始めにかけての時期の通称。
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{{#card:Mind Over Matter}}
1996年の[[ネクロの夏]]に対比した表現である。
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{{#card:Tolarian Academy}}
  
1998年10月に[[ウルザズ・サーガ]]が発売されると、すぐに各地で「[[トレイリアのアカデミー/Tolarian Academy]]はやばい」とささやかれ始め、多くの[[プレイヤー]]がトレイリアのアカデミーを使った[[デッキ]]を模索し始めた。
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==概要==
そして生み出されたのが[[精神力/Mind Over Matter]]でトレイリアのアカデミーを[[アンタップ]]して大量の[[マナ]]を生み出すMoMaだったのだが、[[カード・プール]]の狭い[[スタンダード]]ですら[[1ターンキル]]の確率が5%を超えるという化け物になってしまったのだ。
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[[DCI]]もこの危険性を認知し、12/1の[[禁止カード]]発表(発効は1999/1/1)でトレイリアのアカデミーと[[意外な授かり物/Windfall]]が禁止されると発表された。
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だが、禁止が適用される間には二つの大きなイベントが存在していた。[[プロツアーローマ98]]と[[The Finals98]]だ。結果、この二つのトーナメントはMoMa一色に染まってしまったのである。
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当然[[メタ]]デッキも現れてきたのだが、[[赤]][[単色デッキ|単]]等の全く関係ないデッキまで「(旧)[[レジェンド・ルール]]を利用して先置きする」為だけにトレイリアのアカデミーを4枚積みする、等と言ったデッキ[[構築]]がまかり通る環境になっていた。
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<!-- (例、[[石田格]]の[[赤茶単]])
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一応石田氏の赤茶単は大量のマナを火の玉に使うので全く関係ないとは言えないと思います。 -->
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*The Finals98のベスト8デッキの内6つが[[MoMa]]。残り2つの内1つは「大量[[アーティファクト]]とトレイリアのアカデミーによる大量マナを[[X火力]]に使う」という歪んだアンチMoMaデッキの[[赤茶単アカデミー]]で、MoMaと関係ないデッキは[[3CW]]が1つのみだった。
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MoMaのアンチデッキとして有名な[[フィッシュ#merfolk|フィッシュ]]は駆逐されてしまった。
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===ウルザズ・サーガ発売後===
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1998年10月に[[ウルザズ・サーガ]]が発売されると、すぐに各地で「[[トレイリアのアカデミー/Tolarian Academy]]はやばい」とささやかれ始め、多くの[[プレイヤー]]がトレイリアのアカデミーを使った[[デッキ]]を模索し始めた。そして生み出されたのが[[精神力/Mind Over Matter]]でトレイリアのアカデミーを[[アンタップ]]して大量の[[マナ]]を生み出すMoMaだったのだが、[[カード・プール]]の狭い[[スタンダード]]ですら[[1ターンキル]]の確率が5%を超えるという化け物になってしまったのだ。
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[[DCI]]もこの危険性を認知し、12/1の[[禁止カード]]発表(発効は1999/1/1)でトレイリアのアカデミーと[[意外な授かり物/Windfall]]を禁止すると発表した。だが、禁止が適用される間には2つの大きなイベントが存在していた。[[プロツアーローマ98]]と[[The Finals98]]だ。結果、この2つのトーナメントはMoMa一色に染まってしまったのである。当然[[メタ]]デッキも現れてきたのだが、[[赤]][[単色デッキ|単]]などの全く関係ないデッキまで「(旧)[[レジェンド・ルール]]を利用して先置きする」ためだけにトレイリアのアカデミーを4枚積みする、などと言ったデッキ[[構築]]がまかり通る環境になっていた。
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*The Finals98の優勝者を含むベスト8デッキの内6つが[[MoMa]]。残り2つの内1つは「大量[[アーティファクト]]とトレイリアのアカデミーによる大量マナを[[X火力]]に使う」という歪んだアンチMoMaデッキの[[赤茶単アカデミー]]で、残りは[[アンチデッキ|アンチMoMa]]である[[黒]]と[[赤]]を食い物にして勝ち上がった[[3CW]]だった。[[エクステンデッド]]では有力であった[[フィッシュ]]は[[意志の力/Force of Will]]がないため各種デッキの速攻を止められず、使用プレイヤーもほとんどいなかったことから駆逐された。
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===トレイリアのアカデミー・意外な授かり物禁止後===
 
年が明けて2枚のカードが禁止になっても、MoMaは死んではいなかった。トレイリアのアカデミーの穴を[[ドリーム・ホール/Dream Halls]]で埋める事に成功し、[[ドリームホールモマ]]としてMoMaは再び悪さを始めたのだ。
 
年が明けて2枚のカードが禁止になっても、MoMaは死んではいなかった。トレイリアのアカデミーの穴を[[ドリーム・ホール/Dream Halls]]で埋める事に成功し、[[ドリームホールモマ]]としてMoMaは再び悪さを始めたのだ。
その結果、4/1付けで[[時のらせん/Time Spiral]]と[[水蓮の花びら/Lotus Petal]]、ドリーム・ホールが禁止カードに追加されることになった。
 
さらに、6/1付けでスタンダードの[[基本セット]]が[[第5版]]から[[第6版]]へ切り替わった際に[[魔力の櫃/Mana Vault]]がスタンダードから姿を消した。
 
  
こうしてデッキの[[キーカード]]を大量に失った結果、当初のMoMaの異常なまでのパワーは失われ、MoMaの冬は終わりを告げた。
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その結果、4/1付けで[[時のらせん/Time Spiral]][[水蓮の花びら/Lotus Petal]]、ドリーム・ホールが禁止カードに追加されることになった。さらに、6/1付けでスタンダードの[[基本セット]][[第5版]]から[[第6版]]へ切り替わった際に[[魔力の櫃/Mana Vault]]がスタンダードから姿を消し、「[[ライフ]]が0以下になると即座に[[敗北]]する」ルールに変更された事でさらに弱体化した。
それでも、まだまだ諦めない人は居た。精神力を[[]]に出すのは[[実物提示教育/Show and Tell]]で、魔力の櫃の代わりは[[厳かなモノリス/Grim Monolith]]、時のらせんの代用として[[先細りの収益/Diminishing Returns]]を手に入れて、[[実物提示モマ]]として何とかしぶとく生き残っていた。
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しかし、[[日本選手権99]]でベスト8に一人を送り込んだのを最後に、7/1付けで精神力そのものを禁止され、MoMaは永遠に眠ることとなった。
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*上記の通りネクロの夏と対比されるが、MoMaのたちの悪さは[[ネクロ]]より数段上である。
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こうしてデッキの[[キーカード]]を大量に失った結果、当初のMoMaの異常なまでのパワーは失われ、MoMaの冬は終わりを告げた。それでも、まだまだ諦めない人は居た。精神力を[[戦場に出す]]のは[[実物提示教育/Show and Tell]]で、魔力の櫃の代わりは[[厳かなモノリス/Grim Monolith]]、時のらせんの代用として[[先細りの収益/Diminishing Returns]]を手に入れて、[[実物提示モマ]]として何とかしぶとく生き残っていた。しかし、[[日本選手権99]]でベスト8に一人を送り込んだのを最後に、7/1付けで精神力そのものを禁止され、MoMaは永遠に眠ることとなった。
ネクロはまだ十分に[[アンチデッキ]]で対抗可能なレベルであり、実際ネクロの夏で優勝したのは[[白ウィニー#twelveknights|白ウィニー]]であった。
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<!-- ネクロは[[ドロー]]による[[アドバンテージ]]が異常なだけの、普通のウィニーor[[コントロール]]デッキなので、[[メタ]]を絞れば十分に[[アンチデッキ]]で対抗可能であり、実際にネクロの夏で優勝したのは白ウィニーであった。
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この当時のネクロの凶悪さは、単にネクロポーテンスのドローのみではありません。Hymn to Tourch、暗黒の儀式、象牙の塔etc、他の強力カードあってこその強さでした。 -->
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しかしMoMaにそんな常識は通用せず、他の全てを捨てて[[メタる|メタって]]、ようやく五分になるかどうか…である。MoMaの冬を制するのは、「ミラーマッチに強いMoMa」だったのだ。
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*いつまでをMoMaの冬とするかは諸説あるが、一番有力なのは1999/3/31まで(時のらせんなどが禁止されるまで)とする説だろうか。
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*上記の通りネクロの夏と対比されるが、MoMaのたちの悪さは[[ネクロ]]より数段上である。ネクロはまだ十分に[[アンチデッキ]]で対抗可能なレベルであり、実際ネクロの夏で優勝したのは[[白ウィニー]]であった。しかしMoMaにそんな常識は通用せず、他の全てを捨てて[[メタる|メタって]]、ようやく五分になるかどうかである。MoMaの冬を制するのは、「ミラーマッチに強いMoMa」だったのだ。
他にも、MoMaがMtG史上最悪のデッキであった1998/12/31(トレイリアのアカデミーなどが禁止されるまで)とする説、さらにはMoMaが完全に消滅した1999/6/30まで(力を大きく失った晩期でも、MoMaは[[メタ]]の一角を占めていた)とする説もある。
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*いつまでをMoMaの冬とするかは諸説あるが、一番有力なのは1999年3月31日まで(時のらせんなどが禁止されるまで)とする説だろうか。他にも、MoMaがMtG史上最強のデッキであった1998年12月31日(トレイリアのアカデミーなどが禁止されるまで)とする説、さらにはMoMaが完全に消滅した1999年6月30日まで(力を大きく失った晩期でも、MoMaは[[メタ]]の一角を占めていた)とする説もある。
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*[[R&D]]はこれを教訓に、実際に[[デッキ]]を組み込んでカードパワーを調整する[[FFL]]のシステムを生み出した。([http://www.wizards.com/Magic/Magazine/Article.aspx?x=mtg/daily/ld/65 参考])
  
 
==参考==
 
==参考==
 
*[[用語集]]
 
*[[用語集]]

2022年7月17日 (日) 16:34時点における最新版

MoMaの冬(MoMa Winter)とは、MoMaが全世界で猛威を振るった1998年末から1999年始めにかけての時期の通称。1996年のネクロの夏に対比した表現である。


Mind Over Matter / 精神力 (2)(青)(青)(青)(青)
エンチャント

カードを1枚捨てる:アーティファクト1つかクリーチャー1体か土地1つを対象とする。あなたはそれをタップまたはアンタップしてもよい。



Tolarian Academy / トレイリアのアカデミー
伝説の土地

(T):あなたがコントロールするアーティファクト1つにつき(青)を加える。


目次

[編集] 概要

[編集] ウルザズ・サーガ発売後

1998年10月にウルザズ・サーガが発売されると、すぐに各地で「トレイリアのアカデミー/Tolarian Academyはやばい」とささやかれ始め、多くのプレイヤーがトレイリアのアカデミーを使ったデッキを模索し始めた。そして生み出されたのが精神力/Mind Over Matterでトレイリアのアカデミーをアンタップして大量のマナを生み出すMoMaだったのだが、カード・プールの狭いスタンダードですら1ターンキルの確率が5%を超えるという化け物になってしまったのだ。

DCIもこの危険性を認知し、12/1の禁止カード発表(発効は1999/1/1)でトレイリアのアカデミーと意外な授かり物/Windfallを禁止すると発表した。だが、禁止が適用される間には2つの大きなイベントが存在していた。プロツアーローマ98The Finals98だ。結果、この2つのトーナメントはMoMa一色に染まってしまったのである。当然メタデッキも現れてきたのだが、などの全く関係ないデッキまで「(旧)レジェンド・ルールを利用して先置きする」ためだけにトレイリアのアカデミーを4枚積みする、などと言ったデッキ構築がまかり通る環境になっていた。

[編集] トレイリアのアカデミー・意外な授かり物禁止後

年が明けて2枚のカードが禁止になっても、MoMaは死んではいなかった。トレイリアのアカデミーの穴をドリーム・ホール/Dream Hallsで埋める事に成功し、ドリームホールモマとしてMoMaは再び悪さを始めたのだ。

その結果、4/1付けで時のらせん/Time Spiral水蓮の花びら/Lotus Petal、ドリーム・ホールが禁止カードに追加されることになった。さらに、6/1付けでスタンダードの基本セット第5版から第6版へ切り替わった際に魔力の櫃/Mana Vaultがスタンダードから姿を消し、「ライフが0以下になると即座に敗北する」ルールに変更された事でさらに弱体化した。

こうしてデッキのキーカードを大量に失った結果、当初のMoMaの異常なまでのパワーは失われ、MoMaの冬は終わりを告げた。それでも、まだまだ諦めない人は居た。精神力を戦場に出すのは実物提示教育/Show and Tellで、魔力の櫃の代わりは厳かなモノリス/Grim Monolith、時のらせんの代用として先細りの収益/Diminishing Returnsを手に入れて、実物提示モマとして何とかしぶとく生き残っていた。しかし、日本選手権99でベスト8に一人を送り込んだのを最後に、7/1付けで精神力そのものを禁止され、MoMaは永遠に眠ることとなった。

  • 上記の通りネクロの夏と対比されるが、MoMaのたちの悪さはネクロより数段上である。ネクロはまだ十分にアンチデッキで対抗可能なレベルであり、実際ネクロの夏で優勝したのは白ウィニーであった。しかしMoMaにそんな常識は通用せず、他の全てを捨ててメタって、ようやく五分になるかどうかである。MoMaの冬を制するのは、「ミラーマッチに強いMoMa」だったのだ。
  • いつまでをMoMaの冬とするかは諸説あるが、一番有力なのは1999年3月31日まで(時のらせんなどが禁止されるまで)とする説だろうか。他にも、MoMaがMtG史上最強のデッキであった1998年12月31日(トレイリアのアカデミーなどが禁止されるまで)とする説、さらにはMoMaが完全に消滅した1999年6月30日まで(力を大きく失った晩期でも、MoMaはメタの一角を占めていた)とする説もある。
  • R&Dはこれを教訓に、実際にデッキを組み込んでカードパワーを調整するFFLのシステムを生み出した。(参考

[編集] 参考

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