MoMaの冬
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MoMaの冬(MoMa Winter)とは、MoMaが全世界で猛威を振るった1998年末から1999年始めにかけての時期の通称。1996年のネクロの夏に対比した表現である。
エンチャント
カードを1枚捨てる:アーティファクト1つかクリーチャー1体か土地1つを対象とする。あなたはそれをタップまたはアンタップしてもよい。
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概要
ウルザズ・サーガ発売後
1998年10月にウルザズ・サーガが発売されると、すぐに各地で「トレイリアのアカデミー/Tolarian Academyはやばい」とささやかれ始め、多くのプレイヤーがトレイリアのアカデミーを使ったデッキを模索し始めた。そして生み出されたのが精神力/Mind Over Matterでトレイリアのアカデミーをアンタップして大量のマナを生み出すMoMaだったのだが、カード・プールの狭いスタンダードですら1ターンキルの確率が5%を超えるという化け物になってしまったのだ。
DCIもこの危険性を認知し、12/1の禁止カード発表(発効は1999/1/1)でトレイリアのアカデミーと意外な授かり物/Windfallが禁止されると発表した。だが、禁止が適用される間には2つの大きなイベントが存在していた。プロツアーローマ98とThe Finals98だ。結果、この2つのトーナメントはMoMa一色に染まってしまったのである。当然メタデッキも現れてきたのだが、赤単などの全く関係ないデッキまで「(旧)レジェンド・ルールを利用して先置きする」ためだけにトレイリアのアカデミーを4枚積みする、などと言ったデッキ構築がまかり通る環境になっていた。
- The Finals98の優勝者を含むベスト8デッキの内6つがMoMa。残り2つの内1つは「大量アーティファクトとトレイリアのアカデミーによる大量マナをX火力に使う」という歪んだアンチMoMaデッキの赤茶単アカデミーで、残りはアンチMoMaである黒と赤を食い物にして勝ち上がった3CWだった。MoMaのアンチデッキとして有力であったフィッシュは駆逐されてしまった。
トレイリアのアカデミー・意外な授かり物禁止後
年が明けて2枚のカードが禁止になっても、MoMaは死んではいなかった。トレイリアのアカデミーの穴をドリーム・ホール/Dream Hallsで埋める事に成功し、ドリームホールモマとしてMoMaは再び悪さを始めたのだ。
その結果、4/1付けで時のらせん/Time Spiralと水蓮の花びら/Lotus Petal、ドリーム・ホールが禁止カードに追加されることになった。さらに、6/1付けでスタンダードの基本セットが第5版から第6版へ切り替わった際に魔力の櫃/Mana Vaultがスタンダードから姿を消し、「ライフが0以下になると即座に敗北する」ルールに変更された事でさらに弱体化した。
こうしてデッキのキーカードを大量に失った結果、当初のMoMaの異常なまでのパワーは失われ、MoMaの冬は終わりを告げた。それでも、まだまだ諦めない人は居た。精神力を戦場に出すのは実物提示教育/Show and Tellで、魔力の櫃の代わりは厳かなモノリス/Grim Monolith、時のらせんの代用として先細りの収益/Diminishing Returnsを手に入れて、実物提示モマとして何とかしぶとく生き残っていた。しかし、日本選手権99でベスト8に一人を送り込んだのを最後に、7/1付けで精神力そのものを禁止され、MoMaは永遠に眠ることとなった。
- 上記の通りネクロの夏と対比されるが、MoMaのたちの悪さはネクロより数段上である。ネクロはまだ十分にアンチデッキで対抗可能なレベルであり、実際ネクロの夏で優勝したのは白ウィニーであった。しかしMoMaにそんな常識は通用せず、他の全てを捨ててメタって、ようやく五分になるかどうかである。MoMaの冬を制するのは、「ミラーマッチに強いMoMa」だったのだ。
- いつまでをMoMaの冬とするかは諸説あるが、一番有力なのは1999年3月31日まで(時のらせんなどが禁止されるまで)とする説だろうか。他にも、MoMaがMtG史上最強のデッキであった1998年12月31日(トレイリアのアカデミーなどが禁止されるまで)とする説、さらにはMoMaが完全に消滅した1999年6月30日まで(力を大きく失った晩期でも、MoMaはメタの一角を占めていた)とする説もある。
- R&Dはこれを教訓に、実際にデッキを組み込んでカードパワーを調整するFFLのシステムを生み出した。(参考)