ネクロの夏
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ネクロの夏(Necro Summer)とは、ネクロディスクが上位を占めた1996年世界選手権の通称である。黒い夏(Black Summer)とも。
1996年世界選手権。選手権前のプロツアーの結果から、青白コントロール、アーニーゲドン、そしてネクロポーテンス/Necropotenceをエンジンに据えたネクロなどがメタの中心とされていた。
大会が始まるとネクロ(特にネビニラルの円盤/Nevinyrral's Diskを加えたネクロディスクと呼ばれるもの)の凶悪さが次第に姿を見せ始めた。調整されたネクロディスクは短い間に大成長を遂げ、他のデッキを圧倒したのである。上位はネクロディスク勢が大半を占め、大会は黒一色に染まった。
しかし、オーストラリアの英雄、Tom Chanphengはこの事態を事前に予測し、ネクロポーテンスやネビニラルの円盤を確実に破壊できる解呪/Disenchantとプロテクション(黒)を搭載したクリーチャーを中心にした白ウィニー「12Knights」を組み参戦したのである。彼の読みは見事に的中し、決勝まで勝ち進んだ。
決勝戦・当時最強プレイヤーと名高いMark Justiceが操るネクロディスクのプロテクション(白)クリーチャー達に押されライフ補充のため自らの土地をZuran Orbに捧げるという劣勢の中、Tom Chanphengはデッキ中にたった1枚しか無い天秤/Balance(制限カード)を引き歴史的な大逆転を起こし、この世界選手権で優勝を飾った。
ちなみに彼は臨機応変/Sleight of Mindによるプロテクション色替えギミックを仕込んでいたのだが、デッキ登録の際に唯一の青マナ源のアダーカー荒原/Adarkar Wastesを平地/Plainsと書き間違えて提出してしまったため使用出来なかったというエピソードがある。
- このゲームにおけるメタゲームを説明する格好の材料となる事例。
「ネクロの夏」にネクロディスクではなく白ウィニーが優勝したのは、「白ウィニーがこの時期一番強かった」という訳ではなく、周囲に黒いデッキ(ネクロディスク)が溢れており、その対策に特化したからなのだ。言い換えれば「ネクロの夏」であったことが白ウィニーが優勝した最大の要因であるといえよう。 - この日の決勝戦・Mark JusticeとTom Chanphengの言わば宿命の戦い/Righteous Warはもう一つの伝説も生み出した。→デモコンデス
- ネクロの夏になぞらえて、一種類のデッキタイプが構築環境を席巻している時期を「○○(デッキ名)の○(季節)」と呼ぶ(おもに揶揄の意味で)例が多々ある。「MoMaの冬」、「サイカの夏」(世界選手権02)、「コンボの冬」(プロツアーニューオーリンズ03)、「フェアリーの冬」(世界選手権08)、「エルドラージの冬」(プロツアー「ゲートウォッチの誓い」)、「食欲の秋」(グランプリ名古屋19)など、枚挙にいとまがない。
- 「黒い夏」に対して「青い夏」もある。