武士道
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**しかし、元の意味を考えると、黒や赤の多くの侍が武士道を持っているのは違和感も残る。武士道の本質には「武勇」と同時に「忠義」も含まれるため、浪人や山賊などのそれには当てはまらない面があるため。 | **しかし、元の意味を考えると、黒や赤の多くの侍が武士道を持っているのは違和感も残る。武士道の本質には「武勇」と同時に「忠義」も含まれるため、浪人や山賊などのそれには当てはまらない面があるため。 | ||
**「心技体」であるところの「心」の部分を考慮せず、欧米人(特に米国)にありがちな「サムライ=クロサワ映画のようにカタナでチャンバラする凄く強いウォーリア」という印象のみを抜き出したような能力、だと解釈するべきなのだろう(補足すると多くの米国映画コミュニティでは、クロサワ映画は芸術作品ではなく、痛快チャンバラエンタテインメントとして認識されている、という背景がある)。剣道や柔道などと「道」の部分が同じなので侍の持つ技能のように解釈されているのかもしれない。 | **「心技体」であるところの「心」の部分を考慮せず、欧米人(特に米国)にありがちな「サムライ=クロサワ映画のようにカタナでチャンバラする凄く強いウォーリア」という印象のみを抜き出したような能力、だと解釈するべきなのだろう(補足すると多くの米国映画コミュニティでは、クロサワ映画は芸術作品ではなく、痛快チャンバラエンタテインメントとして認識されている、という背景がある)。剣道や柔道などと「道」の部分が同じなので侍の持つ技能のように解釈されているのかもしれない。 | ||
− | *** | + | ***もともと武士道というのは武人たる個人の才を高めることが重要視され、主君を裏切ってでも戦に勝ち、生き残ることが美徳だった。道徳的側面が強くなったのは大きな戦乱も無く安定した江戸時代になってから。神河のような大戦中の世界では勝利と生存を至上のものとした初期の武士道の方が似つかわしいかもしれない。 |
==参考== | ==参考== |
2013年2月14日 (木) 16:47時点における版
武士道/Bushido | |
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種別 | 誘発型能力 |
登場セット | 神河ブロック |
CR | CR:702.45 |
武士道(ぶしどう)/Bushidoは、神河ブロックで登場したキーワード能力。クリーチャーが持つ、ブロック・クリーチャー指定ステップの間に誘発する誘発型能力である。
Devoted Retainer / 献身的な家来 (白)
クリーチャー — 人間(Human) 侍(Samurai)
クリーチャー — 人間(Human) 侍(Samurai)
武士道1(このクリーチャーがブロックするかブロックされた状態になるたび、それはターン終了時まで+1/+1の修整を受ける。)
1/1定義
武士道 N/Bushido Nは、「このクリーチャーがブロックに参加するかブロックされた状態になるたび、それはターン終了時まで+N/+Nの修整を受ける。」を意味する。
解説
日本古来の武士道に由来する能力であり、神河ブロックでこの能力を持つクリーチャーはすべて侍である。また、神河ブロックのすべての侍がこの能力を持つ。
ルール
- ブロック・クリーチャーが複数存在しても、ランページとは違い修整値は変わらない。
- 複数の戦闘フェイズが存在し得るため、1ターンに複数回ブロックした(された)場合は修整が累積する。
- 複数の武士道は累積するが、それぞれが独立に誘発することに注意。「武士道1」を2つもっていたら「武士道2」になるわけではないが、ブロック/被ブロック時には+2/+2の修整を受ける(ほぼ同じことではあるが、武士道2はもみ消し/Stifle1つで打ち消すことができるのに対し、武士道1が2つあるともみ消しは2枚必要である)。
その他
- クリーチャー戦がメインになりやすいリミテッドで活躍する。トランプルと相性が良いが、武士道とトランプルをセットで持っているクリーチャーはいない。
- 武士道持ちは白に一番多く、続いて赤、黒の順。緑は悟りの武士、勲雄/Isao, Enlightened Bushiのみ。青にもアンヒンジドに武士道を得られるGreater Morphlingがいる。
- しかし、元の意味を考えると、黒や赤の多くの侍が武士道を持っているのは違和感も残る。武士道の本質には「武勇」と同時に「忠義」も含まれるため、浪人や山賊などのそれには当てはまらない面があるため。
- 「心技体」であるところの「心」の部分を考慮せず、欧米人(特に米国)にありがちな「サムライ=クロサワ映画のようにカタナでチャンバラする凄く強いウォーリア」という印象のみを抜き出したような能力、だと解釈するべきなのだろう(補足すると多くの米国映画コミュニティでは、クロサワ映画は芸術作品ではなく、痛快チャンバラエンタテインメントとして認識されている、という背景がある)。剣道や柔道などと「道」の部分が同じなので侍の持つ技能のように解釈されているのかもしれない。
- もともと武士道というのは武人たる個人の才を高めることが重要視され、主君を裏切ってでも戦に勝ち、生き残ることが美徳だった。道徳的側面が強くなったのは大きな戦乱も無く安定した江戸時代になってから。神河のような大戦中の世界では勝利と生存を至上のものとした初期の武士道の方が似つかわしいかもしれない。