知謀の将軍 陸遜/Lu Xun, Scholar General

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[[飛行]]が[[馬術]]になってはいるが、そのまんま[[泥棒カササギ/Thieving Magpie]]
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[[飛行]]が[[馬術]]になってはいるが、そのまんま[[泥棒カササギ/Thieving Magpie]]。ポータルの中では相対的にカードパワーが高い為[[伝説の]][[クリーチャー]]になっているのもうなずける。
ポータルの中では相対的にカードパワーが高い為[[伝説の]][[クリーチャー]]になっているのもうなずける。
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*泥棒カササギと違い、[[ドロー]][[能力]]が強制でないあたりがほんの僅か勝っている。
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*泥棒カササギと違い、[[ドロー]][[能力]]が強制でないあたりがほんのわずか勝っている。
<!-- だが任意なのでたまに引き忘れることもあるわけで…。
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*他にも、[[馬術]]がいかに[[飛行]]と同等であるとは言え、[[ポータル]]にしか存在しない[[馬術]]持ちを使っている[[デッキ]]など[[エターナル]]にはほとんど無いわけで、実質[[アンブロッカブル]]と言ってもよいかもしれない。[[フライヤー]]を[[ブロック]]できず、複数出せないことを考えなければ泥棒カササギより優れていると言えるだろう。
あるわけ、ないでしょ -->
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*他にも、[[馬術]]が如何に[[飛行]]と同等であるとは言え、[[ポータル]]にしか存在しない[[馬術]]持ちを使っている[[デッキ]]など[[エターナル]]には殆ど無い訳で、実質[[アンブロッカブル]]である。[[フライヤー]]を[[ブロック]]できず、複数出せないことを考えなければ泥棒カササギより優れていると言えるだろう。
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==陸遜(183〜245、歴史上の人物)==
 
==陸遜(183〜245、歴史上の人物)==
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外交戦略にも長けていた彼を孫権は重用し、丞相として活躍する。しかし孫権が引き起こした、呉の後継者争いである二宮事件に際して幾たび詰問されると、それを苦して自害した。
 
外交戦略にも長けていた彼を孫権は重用し、丞相として活躍する。しかし孫権が引き起こした、呉の後継者争いである二宮事件に際して幾たび詰問されると、それを苦して自害した。
 
<!-- 関羽を討つ時に一躍買った将で、関羽の仇討ちのために侵攻してきた蜀軍に対抗する為、呂蒙によって推挙されて起用された。
 
んー、ちょっと違うのな。関羽討伐時に起用されたっていうほうが正しい。
 
/書いた奴、演義信じすぎな。書くんだったら区別しておこうね。
 
当時無名に近い文官で、しかも常に慎重であった彼を諸将達は侮っていたが、数に勝る蜀軍を火攻めを用いて打ち破ったり、伏兵を見破るなど、知勇と才能を発揮し、以来彼の智謀が信頼される事となる。
 
政治や外交でも意見が尊重され、呉に無くてはならない人物となり、最終的には丞相になる。 -->
 
 
  
 
==参考==
 
==参考==
*[[カード個別評価:ポータル系、スターター]]
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*[[カード個別評価:ポータル三国志]] - [[レア]]

2008年3月5日 (水) 13:19時点における版


Lu Xun, Scholar General / 知謀の将軍 陸遜 (2)(青)(青)
伝説のクリーチャー — 人間(Human) 兵士(Soldier)

馬術(このクリーチャーは、馬術を持たないクリーチャーによってはブロックされない。)
知謀の将軍 陸遜が対戦相手にダメージを与えるたび、あなたはカードを1枚引いてもよい。

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飛行馬術になってはいるが、そのまんま泥棒カササギ/Thieving Magpie。ポータルの中では相対的にカードパワーが高い為伝説のクリーチャーになっているのもうなずける。

陸遜(183〜245、歴史上の人物)

身長八尺・面如美玉の美男子といわれる。 呉郡の名士、陸家の生まれであるが孫権の兄で先代の孫策が袁術の支配下にあった時代、袁術の命で一族の陸康を殺していたことから元来は孫家と不和であった。のちに孫策の娘を陸遜が娶ることによって和解しているため、彼は孫家の娘婿ということになる。

ほとんど無名であった陸遜であったが、関羽討伐の際に呂蒙によって推挙され、士仁・ビ芳を離反させるなどの成果を挙げた。こののち、徐々に彼の名は中原にも知られるようになってくる。 呂蒙亡き後の呉の前線司令官の任に就くと、劉備の関羽斬首に対する報復戦である夷陵一帯の戦闘において蜀軍を退けたことにより、その名は一気に轟いた。のちもよく魏(ときに蜀)の攻勢に耐えた。

外交戦略にも長けていた彼を孫権は重用し、丞相として活躍する。しかし孫権が引き起こした、呉の後継者争いである二宮事件に際して幾たび詰問されると、それを苦して自害した。

参考

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